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レビュアーコメント
だいたい私と作者の小林さんはほぼ同年代ですが、掲示板なんかではバカにされている「いい歳をしたヲタク中年」と呼ばれる世代ですね。「Zガンダム」高校時代の話題になりました。「ファースト」私もガンプラ組み立てました。「ゾック」とかでしたけどね。「Zガンダム」の最後で流れていく百式を見て、次の「ZZガンダム」ではシャアが復活するに違いない、それはそのはずと思ってテレビにかじりついていた世代です。
本当のことを言うと、私は今のティーンやハイティーンの方々がこの当時のアニメをDVDなんかで見て「名作と思う」とか「好きになる」心境が分かるような気がします。掲示板なんかの意見をたまに見ますと、大きな大人も少なくないようですが、ティーンの方もいますよね。確かに、今見てみると「逆シャア」なんかは良くできたアニメだと思います。最近になってできた「ガンダムSEED」とか「ガンダム00」のコンピュータ作画に見慣れた目には(あれはあれですごいと思いますが)、あの当時のアニメは絵もそんなに悪くない上に、ダブルオーなどには無い、「何か血の通った」ような暖かさを感じます。まじめさもひたむきさも当時の作品の方が今よりも上です。それらが何もかもが数値化され、努力だけでは越えられない「壁」に向かい合って絶望している今の若い方には逆に新鮮なのかもしれません。「逆シャア」も「Zガンダム」もそういう見方なら決して悪い作品じゃなかった、そう言ってくれる若い世代の声は実は我々の励みにもなります。
でも、我々は知っているんです、本当はもっとすごいことができたということを。
最初の作品を作った時のクリエーター、私は1980年代で基本的な「アニメ」のノウハウは完成したと思いますが、当時は若く、熱い志を持ち、スタジオの隅でビール缶を片手に社会的不公正や不正義に怪気炎を挙げていた人たちも、作品がヒットし、社会的に裕福になるとずいぶん変わってしまいました。スポンサーの都合で仕事を切られる理不尽に怒り狂っていた彼らは、いつしか些細な理由で若いクリエイターを解雇する冷酷な管理職に変わっていきました。1980年代が頂点だったので、その後の彼らの放つ作品が決して評価が高かったとも興行的に成功だったとも言えません。でも、それ以前との違いは彼らが失敗の責任を他人のせいにできたことです。失敗の数は多かったので、いつしか社会正義に怒りを持っていた若い青年は、自己弁護と責任転嫁に汲々とする疲れた中年に変わっていきました。
我々は目撃していたんです。理想を語る人間が、作品を通じ堕落し、続く世代を育てなかったという冷酷無残な事実を。
この作者の方が以前に指摘していましたが、「ガンダム」は典型的な作品だったそうです。アニメーションの技術は「Zガンダム」が頂点で、後は進歩したのは機材だけで、演出や殺陣、脚本の技術は低下する一途だったと。「逆襲のシャア」悪い映画ではありませんが、以前の作品と比べると絵に精気がありません。モビルスーツの見せ方も迫力に欠けます。そして何より、シャアことクワトロ大尉が反乱を起こす理由が全然分かりません。作品を並べるだけで、これは分かってしまいます。
もし、こんなロスが無かったらどうだろう。作者はきちんと説明していないようですが、たぶん、これがこの作品を成立させた大きな動機の一つです。作品のスケールは大きいです。構成も緻密で、時には社会性あるテーマさえ語っています。これはその技術があるなら、それに相応しい物語をというコンセプトで練られた作品です。そして、あの時代の冷酷な人物が、一夜の思いつきで考え出したような続編の屁理屈を、この作品はことごとく破ってしまいます。「ジオン公国」が存続していることなど好例ですね。1970年の物語を元に、現代流の解釈を加え、物語の可能性を極限まで追求した作品、これがこの作品の正体です。
物語に分かりやすいテーマや予定調和が必要だという作劇上の理由については、作者はあまり考慮しているようには見えません。それでも、この物語の進行は読者の考え方を変えるだけの力を持っています。美辞麗句だけを並べた「可能性の物語」ではなく、読者に世界の見方、未来の見方を示しています。「可能性」は示されるものではなく、読者自身の手で掴むもの、そのための道具は提供した、後は任せたという作者の声が行間から聞こえてきます。
私もこの作品を読むのは久しぶりですが、本当に楽しくレビューさせていただきました。改訂が進むにつれ、最初にこの作品を読んだときの私の感動が間違いではなかったことを実感としてつくづく感じています。
※「青い空と白い雲」改訂版は"An another tale of Z"と内容がやや異なります。より記述が多く、外語表記(英独)が多用されています。
http://www.geocities.jp/kakito7000/index.html